パンダのパンセ

レッサーパンダがすき。

カレン・ホーナイ『自己分析』①

われわれ自身のなかの不安、恐怖、憎悪が未解決のままでは、精神分析は身につかない。自分自身の性格を改造するための自己分析の技法を、一般の人たちにもわかるように具体例をあげて解説した。(裏表紙より)

 

今回から、カレン・ホーナイの著書『自己分析』を読んで感じたことを書いていこうと思う。

これを読もうと思ったきっかけは二つあり、一つは友人に自分の生き方について批判されたことだ。

大雑把に言うと自立していない、他人に依存しているということなのだが、どうやったらそれを改善できるのか、そもそもそれが本当に改善すべきことなのかはわからなかった。

ただ、自分の人生において満たされない感覚は常に付き纏っていて、その原因が僕の内的なものならば、自分を見つめ直すというのは尤もに思えた。

友人からこの本を直接勧められた訳ではなく、もう一つのほうのきっかけがこの本との出会いだ。

 

僕の好きな歌手に、宇多田ヒカルがいる。

彼女が先日のインタビューで、まさに「自分を愛するということ」について語っていた。

これは奇しくも、僕が友人に言われたことでもあった。

www.vogue.co.jp

このインタビュー内で、「精神分析に通っている」という話が出ていた。

なるほどこれはいい、と思ったが、あいにく僕には自己分析に週5で通う時間もお金もない。

そこで「精神分析 自分で」と検索してたどり着いたのがこの本だった、というわけだ。

 

本来は全体を通読してからブログに書くべきなのかもしれないが、いかんせん僕自身心理学の本を読み慣れていないため、内容を理解するのに手間取るところもある。

そのため、内容の読解を忘れないようにするという意味でも、読み進めつつ記事を書いていこうと思う。

 

訳者によるあとがきによれば、作者のカレン・ホーナイは元々ドイツでフロイト正統派の訓練を受けた精神科医精神分析学者で、1930年代の初めにアメリカに渡ったのちに古典分析学派と別れたそうだ。

実際、この著作の中でも彼女の考えの元になったであろうフロイト学派に対する言及が多く出現している。

しかし、ホーナイの分析学はそれとは異なるものだと書かれている。

つまり、フロイト分析学で根本的な本能論や人格構造論(イド・自我・超自我)を斥け、人間は性欲・攻撃欲で動くのではなく安定感への欲求で動くとした。

安定感への欲求とは、孤独感や無力感、絶望感として感じられる根元的不安(basic anxiety)を克服しようとすることだ。

そして、その克服の仕方が十に分類される神経症的傾向として現れるという。

ホーナイが神経症的傾向を不安克服の努力の表れと捉え、生きようとする人間のたくましさだとしたことは、読む側としてはたいへん勇気づけられる話である。

 

次回からは、先頭から読み進めていった内容を書いていこうと思う。