パンダのパンセ

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カレン・ホーナイ『自己分析』②

まえがき

精神分析は、神経症の治療として発達してきた側面を持つ。

神経症というのは「器官の障害であるがその原因のはっきりしない境界線にある病気」のことで、ヒステリー性けいれん、恐怖症、抑うつ症、麻薬中毒、機能性胃障害などが含まれる。

精神分析により無意識下の原因を除去すれば、それらの症状が治る、と考えられてきた。

のちに、上述したような神経症の症状が認められないにも関わらず性格的に障害を持っている人々が認知され始め、神経症においては性格的障害の有無が重視されるようになった。

ここでいう性格障害、とは例えば「強迫的な優柔不断」「友人・恋人の選択にいつもしくじる」「仕事ができない」といったようなことだ。

しかし、この段階では精神分析の目的は症状の理解・除去であった。

精神分析がその人の性格全体の発達を援助するものである、という視点が生まれ、精神分析そのものの重要性が考えられるようになった。

われわれの進歩発達において最も重要なのは「生活」である。

人生における困難(祖国を去らなくてはいけないとか、持病があるとか、孤独であるとかいったこと)や、人生の賜物(友情や善良な人との付き合い、集団協働作業など)全ての経験がわれわれの能力の十分な発現を助けてくれる。

しかし、全ての人がそのような経験に恵まれる訳ではない。

能力を上回る苦難に押し潰され、能力を発揮できずに終わることもある。

精神分析は完璧な方法ではないにせよ、「生活」のような欠点はないため、人格の成長に役立つ方法として一定の地位を築いている。

  • 本書の目的

精神分析は社会の中でその重要性を増しているが、全ての人が専門的な精神分析を受けることは不可能である。

そこで精神分析的手法を用いた自己検討=自己分析が重要になってくる。

本書は自己分析の可能性について問題提起をすることが第一目的である。

自己分析の手順についても提起を試みたが、むしろ自己分析への意欲を高めることのほうが狙いである。

自己分析は自己実現の機会を与えてくれる。

換言すると、今まで活用できていなかった潜在能力を伸ばすだけでなく、無駄な強迫行為から解放された健全な統一の取れた人間として能力を発揮するということである。

 

僕はどちらかといえば性格障害のある側に分類されるかもしれない、と自分で思うところがある。

そういう点ではこの本の恩恵を受けることのできる人間なのだろう。

また、自己分析よりも実際の生活、今ある人との繋がりの方がよっぽど重要であるということは肝に銘じておこうと思った。